山田隆一公式サイト

719.外国出身力士として初めて横綱まで登り詰め、1990年代の「若貴フィーバー」を盛り上げた、ハワイ出身の偉大な力士。【追悼 第64代横綱・曙太郎関】

2024/04/11

1993年生まれの私は、世代的にリアルタイムで第64代横綱・曙関の相撲をよく見たことはありませんでした。

しかし、昨年相撲に興味を持ち、実際に九州場所や大村巡業に現地観戦に行くことなどで相撲熱を高めていく中でかつての大相撲の映像を拝見し、曙関の偉大さをいろいろと知ることとなりました。

日本相撲協会公式YouTubeチャンネルでも追悼動画がアップロードされておりましたので、拝見いたしました。

...

1991年から92年にかけて千代の富士関(のちの先代・九重親方)や大乃国関(現在の芝田山親方)、旭富士関(現在の伊勢ヶ濱親方)そして北勝海関(現在の八角理事長)の4横綱が相次いで引退し横綱不在となっていた中で、1993年3月に外国出身力士として初めて横綱に昇進したのがハワイ出身の曙関でした(のちに曙関は日本国籍を取得しています)。

言葉も文化も違う日本に来て生活するだけでも大変な中、横綱にまで登り詰めることは並大抵のことではありません。師匠の当時の東関親方(元関脇・高見山関)もハワイ出身で、自らハワイで曙関をスカウトしたそうですから、愛弟子の横綱昇進は本当に嬉しかったことでしょう。

曙関が横綱に昇進してからやがて、「若貴フィーバー」の主役となった若乃花関・貴乃花関兄弟、そして曙関と同じハワイ出身の武蔵丸関(現在の武蔵川親方)も横綱に昇進し、一時期は4横綱となるなど、大きな盛り上がりを見せました。そんな90年代の大相撲を盛り上げた立役者の一人が、曙関です。

令和5年冬巡業 大相撲大村場所を観戦した際に展示されていた板番付。

こちらは私が令和5年冬巡業 大相撲大村場所(大村巡業)を観戦した際に撮影した写真です。

1998年(平成10年)にも実施された大村巡業の当時の板番付ですが、横綱の欄に曙関の名前が記載されております。

...

曙関は大相撲引退後、総合格闘家やプロレスラーとしてもご活躍いたしました。当時人気絶頂だったボブ・サップとの2003年大晦日のデビュー戦の際に私は当時10歳でしたが、大きな話題を集めた試合だったため印象に残りました。

この試合で曙関は敗戦してしまい、その際のお姿が特に世間の印象に残ってしまう構図となってしまいました。

しかし後年、曙関が本人公認でLINEスタンプ『あんときの曙』を販売し、例のお姿がふんだんに使われていることを知り、苦い敗戦時の姿でもみんなが楽しんでくれれば良い、という曙関のお気持ちを感じ、豊かな人間性のある方だなと感じました。

他にも、こちらの記事でもご紹介している元小結・高見盛関(現在の東関親方)とは同じ部屋で兄弟子にあたる曙関ですから、このお二方の間にも心温まるエピソードがあり、曙関の人間性を知ることができました。

...

曙関の訃報は出身地のハワイでも大きく報じられました。

ハワイのニュースメディア『Hawaii News Now』公式YouTubeチャンネルが本日、在りし日の曙関へのインタビュー映像をアップロードしておりました。

冒頭でBGMとして用いられている楽曲は、以前私もこちらの記事でご紹介した好きな楽曲『Tengoku Kara Kaminari』です。ハワイ出身の3人の力士、曙関・武蔵丸関・小錦関を称える楽曲です。

この『Tengoku Kara Kaminari』が流れている序盤の動画時間1分あたりの場面で、「大村市」の文字が見えてビックリしました。もしかすると、先ほどご紹介した平成10年当時の大村巡業の際の様子かもしれません。

...

曙関、お疲れ様でした。異国の地から日本にやってきて、日本を大きく盛り上げていただき、ありがとうございました。