326.【ASDもいろいろ】診断名に、囚われすぎることの危険性。【僕は発達凸凹でも、前向きに生きていく。第35回】
2023/09/02
※この記事での私の特徴は自閉スペクトラム症(ASD)や発達性協調運動症(DCD)当事者の特徴のうちの、ほんの一例です。全ての神経発達症(発達障害)当事者に当てはまるわけではなく、特徴は十人十色だということをご理解いただけると幸いです。また、このシリーズにおける凸凹とは、凸が得意なことや強み、凹が苦手なことや困難を感じること、という意味合いで用いています。
本記事の著者による講演動画
こちらの講演会の資料など詳細は、こちらの記事をご覧ください。
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私は、小学5年生の頃に自閉スペクトラム症(ASD)<当時の診断名はアスペルガー症候群>の診断を受けておりますので、ASD当事者の視点でも主にこちらの「僕は発達凸凹でも、前向きに生きていく。」カテゴリにて、記事を発信しております。
しかしながら、自分自身はASDであることをそれほど意識しなくなりました。
いろいろ考えた結果、診断名は参考程度にとどめて、自分自身の特性を大事にすることが重要だという結論に至ったのです。
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その理由として、一般的な「ASD当事者のイメージ」と「自分自身」の2つを比較した際に、異なる点も存在することが挙げられます。
例えば、「ASD当事者のイメージ」として、興味を持つ範囲が限定的だということがあります。
確かに、ASD当事者の中には興味を持つ範囲が狭く、その興味を持った分野を極めることにより成功をおさめた方もいらっしゃいます。
それに対して私は、幅広いことに関心を持ってしまいます。私の日々のブログの文章からも、私が幅広いことに興味を持っていることがわかるかもしれません。
好奇心旺盛(凸)で、幼い頃から「あれ、なぁに?」「これ、なぁに?」と質問を繰り返し、いろいろなことを知りたがる人間でした。
このように、同じ診断名でもいろいろな人がいるのです。したがって、現在の私は診断を受けていようがそうでなかろうが、この世界には「いろいろな人がいる」ということを土台に据えて、人々と関わるようにしています。
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ということで、現在の私はASDの診断名にはそれほど囚われておりません。診断名は参考程度に、「私は私」だと思っております。
適度に自分がASDであると意識することは問題ないですが、その診断名に囚われすぎることは危険であると私は考えます。
「自分はASDだから、◯◯はできないだろう」と勝手に決めつけてしまう恐れがあるのです。
私はASDですが、海外経験無しでTOEIC(英語の試験)で890点を取れるほど英語力を高めました(凸)。
私はASDですが、その後イタリアに約1年間留学しました。語学とは相性が良く、いろいろな国の言語を操ることができます(凸)。
私はASDですが、人前で何度も自身の特性について講演した経験があります(凸)。
私はASDですが、文章能力を評価されて商業出版で自身の特性についての著書(『僕は発達凸凹の大学生』)を出すことができました(凸)。
このように、ASDという診断名があっても、できることはあるのです。
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私の他にも、ASDの診断を受けながらも大きな活躍をしている方がいます。
ASDだから、できないだろうと最初から決めつけることは危険です。何事もやってみないとわかりません。
私は「どんな人にも、欠点(凹)があるものの、長所(凸)も必ずあると信じております。」
最初からできないと決めつけていると、その長所(凸)を見つけることが難しくなってしまいます。
したがって、診断名は参考程度にして、自分の可能性を狭めることをせずに、いろいろと探ってみることが大事だということが私の主張です。
本記事をお読みいただき、ありがとうございました。