59.「好き」を、表現できなかった。【僕は発達凸凹でも、前向きに生きていく。第7回】
2023/04/17
※この記事での私の特徴は自閉スペクトラム症(ASD)や発達性協調運動症(DCD)当事者の特徴のうちの、ほんの一例です。全ての神経発達症(発達障害)当事者に当てはまるわけではなく、特徴は十人十色だということをご理解いただけると幸いです。また、このシリーズにおける凸凹とは、凸が得意なことや強み、凹が苦手なことや困難を感じること、という意味合いで用いています。
本記事の著者による講演動画
こちらの講演会の資料など詳細は、こちらの記事をご覧ください。
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こちらの記事にあるように、私はかつて、人の名前を呼ぶことがうまくできませんでした。主に恥ずかしさがあったと思いますが、その恥ずかしさの原因が何かは、うまく説明することができません。独自の「こだわり」によるものだと推測されます。
同じように、私は自分が好きなものについて話すことなどがあまり得意ではありませんでした。現在、好き勝手にこのブログに自分が好きなことを書いているのが考えられません。ただし、現在でもあまり話したくない分野はありますが、それは多くの人々にも共通しているものでしょう。誰にでも秘めていたいものは、あるものです。
例えば、学校で読書をするために、それぞれ自分が好きな本を持ってきて読書することになっていました。しかし、私は謎の恥ずかしさがあり、本を選ぶことができませんでした。図書室から本を選ぶ際は担任の先生などから、購入した本を持ってくる場合は母が迷いながらも買ってきてくれた本を持っていった記憶があります。
このように、恥ずかしくて選べないことがよくありました。子どもの頃、家族でスーパーマーケットに買い物に来た際も、私がお菓子を選ぶことができなかったため、弟が選んでくれたこともありました。
恥ずかしくて自分が好きなものを選んだり話したりすることができなかったため、周りからは何を考えているのかよくわからない子どもに見られていたことでしょう。
かつてはこんな謎の「こだわり」が多くありましたが、成長するにあたっていろいろと学び、考えることにより現在はある程度改善し、好きなものを選ぶことや表現することに抵抗がほとんどなくなりました。
周りがどう考えようと、好きなものは好き。これからも、自分の「好き」をブログに綴っていこうと思います。