41.名前を、呼べなかった。【僕は発達凸凹でも、前向きに生きていく。第1回】
2023/04/06
※この記事での私の特徴は自閉スペクトラム症(ASD)や発達性協調運動症(DCD)当事者の特徴のうちの、ほんの一例です。全ての神経発達症(発達障害)当事者に当てはまるわけではなく、特徴は十人十色だということをご理解いただけると幸いです。また、このシリーズにおける凸凹とは、凸が得意なことや強み、凹が苦手なことや困難を感じること、という意味合いで用いています。
本記事の著者による講演動画
こちらの講演会の資料など詳細は、こちらの記事をご覧ください。
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今回の記事から、「僕は発達凸凹でも、前向きに生きていく。」と題して、私の自閉スペクトラム症(ASD)や発達性協調運動症(DCD)当事者としての特徴を自分なりに書こうと思います。これは生まれ持った「特徴」のため、ある程度改善することはあっても、「治る」という概念はありません。したがって、共生の意味を込めてこちらの題にしました。
一般的に「発達障害」という言葉で知られている特徴のうちの1つであるASDやDCDですが、「障害」という言葉があるためにネガティブな面で語られることが度々あります。しかし、その特徴を活かして社会に多大な貢献をした人物もいる、ポジティブな側面もあります。自賛になり恐縮ですが、こうやって毎日ブログを継続できる、という粘り強さもポジティブな側面と言って良いでしょう。
私の著書『僕は発達凸凹の大学生』のタイトルにもある。「発達凸凹」という言葉をより好みます。私はこの「凸凹」という言葉に着目し、凸を得意なことなどのポジティブな側面、凹を苦手なことなどのネガティブな側面と解釈し、凹を受け入れながらも、凸を伸ばし生きていくのが良い生き方なのでは、と考えています。この意味合いでの凸凹という表現は、これからもこのシリーズでは多用します。
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さて、今回は私がかつて人の名前を呼ぶことができなかった、という特徴について述べようと思います。
今は問題なく人の名前を呼ぶことができるのですが、かつては「なぜか」できませんでした。幼少期から、大学生の途中あたりまでその傾向は続きました。私の場合、大学で自信をつけてきたため、その流れで名前を呼べるようになったと推測します。
人は、名前を呼ばれると嬉しいものです。よく名前を呼んでくれる人に親しみを抱きやすいという研究結果も聞いたことがあります。それをわかっている現在は、人の名前を積極的に呼ぼうと心がけています。
しかし、かつては「恥ずかしいから」という理由で呼べませんでした。なぜ「恥ずかしい」かと思ったかを、今は明確に説明することができません。自信がなかったことも一因だと思われますが、他にも原因はあったと思われます。このようにASD当事者には、原因不明の謎の「こだわり」があることがあります。
私の公式サイトやブログのデザインや文章からも、私のこだわりを感じとることができるでしょう。シンプルが好きなことや、句読点を多用すること、絵文字や顔文字を用いないことなど、自覚しているこだわりもありますが、中には自覚していないこだわりもあることでしょう。
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今回のテーマに関連して、こちらの楽曲を聴きながら記事を執筆いたしました。
日本のロックバンド・SUPER BEAVERの『名前を呼ぶよ』という楽曲です。熱い雰囲気の曲が多いバンドという印象です。私も一見おとなしいですが、内に秘めた情熱があるとよく言われますので、このような情熱的な方々は心地よいです。
これからも、いろいろな方々の名前をしっかり呼んでいきたいと思います。
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これからもこのシリーズを続けていきます。専門家ではなく当事者として述べますので、専門的なことはあまり書くことができませんが、当事者としての考えを、これからもご覧ください。