724.【学校に行けなくても、大丈夫。】不登校は、おかしいことでも恥ずかしいことでもありません。【僕は発達凸凹でも、前向きに生きていく。第64回】
2024/04/13
※この記事での私の特徴は自閉スペクトラム症(ASD)や発達性協調運動症(DCD)当事者の特徴のうちの、ほんの一例です。全ての神経発達症(発達障害)当事者に当てはまるわけではなく、特徴は十人十色だということをご理解いただけると幸いです。また、このシリーズにおける凸凹とは、凸が得意なことや強み、凹が苦手なことや困難を感じること、という意味合いで用いています。
本記事の著者による講演動画
こちらの講演会の資料など詳細は、こちらの記事をご覧ください。
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私は以前こちらの記事でも述べたように、かつて不登校を経験しました。
当時は現在ほど社会で不登校への理解がなかったこともあり、学校へ行けなかった自分が「おかしい」「恥ずかしい」と思っていました。
しかし現在は、過去の自分や現在学校に行けずに悩んでいる人々に声を大きくして言いたいです。
不登校は、おかしいことでも恥ずかしいことでもありません。
この社会には、様々な特性を持った人々がいます。
集団生活が得意(凸)な人もいれば、集団生活が苦手(凹)な人もいるのです。
学校という枠組みでは、当然のように集団生活が実施されております。しかしその枠組みに馴染める人もいれば、馴染めない人もいます。
様々な特性の人々が共存するこの社会では、それは「当然なこと」であり、おかしいことでは全くありません。
「すべての子どもは、学校に行かなければならない」という常識に縛られていたかつての私は、大いに思い悩みました。
そしてその後、様々なことを経験していろいろと考えることにより、「学校という仕組みに合う人もいれば、かつての私のように合わない人もいる」と考えるようになりました。
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とはいえ、私も学校という存在を完全に否定しているわけではありません。国語や数学などの勉強のほかにも、集団生活の場に身を置くことで苦手ながらも学べた要素はあります。
現在はかつての私のように従来の学校生活に馴染むことが困難な子どものために、フリースクールなどの新たな選択肢が充実してきました。
様々な技術も発展してきている現代ですから、様々な子どもの特性に応じた多様な学び方が実現してきております。
改めて言います。
不登校は、おかしいことでも恥ずかしいことでもありません。
私は自身の経験を活かしてこうやって『僕は発達凸凹でも、前向きに生きていく。』のタイトルでのブログでの連載やこちらに記載しているような講演活動・執筆活動をしております。来月には、『長崎いのちの電話』主催のもと講演いたします。
かつての私と同じように悩んでいる人々や、その保護者の方々の力になりたいと思っております。私は教えることも好きですから、学習塾のような形でも、フリースクールのような形でも、いろいろな構想があります。日商簿記2級も持っておりますので、事業における裏方の会計事務なども少しはできます。
私の志に共感した方がいらっしゃいましたら、ぜひこちらからいつでも全国どこからでもお気軽にご連絡ください。
お読みいただき、ありがとうございました。