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98.私の、不登校経験。【僕は発達でも、前向きに生きていく。第14回】

2023/05/15

※この記事での私の特徴は自閉スペクトラム症(ASD)や発達性協調運動症(DCD)当事者の特徴のうちの、ほんの一例です。全ての神経発達症(発達障害)当事者に当てはまるわけではなく、特徴は十人十色だということをご理解いただけると幸いです。また、このシリーズにおけるとは、が得意なことや強み、が苦手なことや困難を感じること、という意味合いで用いています。

(2024年6月4日追記)2024年5月11日に私が実施した講演会の動画がアップロードされております。よろしければこちらも合わせてご覧くださいませ。

こちらの講演会の資料など詳細は、こちらの記事をご覧ください。

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私は、他人に合わせることが極端に苦手()な特性もあり、学校にうまく馴染むことができませんでした。

そのことを、年齢を重ねるうちに強く実感するようになり、中学3年生の頃には5日間ほどの短い期間ながら、不登校を経験いたしました。学校ではうまく友達を作れず、学校は、文字通り「学ぶところ」という認識で、楽しいところではなかったのです。

その後高校に進学しましたが、そこは進学校と言われる、毎日のように授業以外の課題が課されるような高校でした。ここでもうまく馴染むことができませんでした。遠足にて、友達がいないため1人で弁当を食べようとしたところ、さすがにそれを見かねた生徒のグループに声をかけられ一緒に食べたものの、一言も会話をした記憶がありません。それほど、学校に馴染めませんでした。

このような学校生活ですので、全く楽しいとは思えませんでした。しかし、課題は毎日のように課されますので、勉強が遅れないようにと休まず真面目に登校を続けました。今の私であれば「無理に行く必要はない」という考えなのですが、当時の進学校の雰囲気では「勉強ができる人が偉い、勉強ができない人は落ちこぼれ」という偏った考えを「洗脳」されていたため、嫌々ながら登校していました。

高校1年生ではこちらの記事でご紹介した、私の写真を撮ることに向いていること()や、論理的に文章を書くことができる()長所を見抜いていた先生との出会いもありましたが、この先生は1年で転勤してしまいました。その後、高校2年生になりましたが、受験が近づくことにより、更に課題や模擬試験の量が増えたことによる負担や、そのことによる周りの学生のストレスを敏感に感じ取ってしまったことも重なり、ついに学校に登校することができなくなりました、

その後、不登校ではあったものの、出席日数確保のための保健室登校なども経験いたしました。この時に、下足箱で苦手な同級生グループと出くわした際に会いたくないため遠くで待っているところを気づかれ、大声で「おい、あいつあんなとこで待っとるばい!」と笑われたことは、一生忘れないことでしょう。笑った側はすぐ忘れても、笑われた側はずっと覚えているものです。

こうして、この進学校に登校することが不可能なため、「勉強ができたほうが偉い」という偏った考えに洗脳されていた私にとって不本意な、通信制高校へと転入することとなりました。

当時の私にとっては不本意でしたが、この通信制高校では、勉強だけが全てじゃないことなど、様々なことを学ぶことができました。今後の記事で通信制高校在籍時のエピソードをご紹介したいと思います。

また、現在は「友達は無理に作る必要がない」という考えになっています。もちろん、気の合う友達になりうる人との出会いがあれば、友達になることは良いですが、そうでもなければ、無理に友達を作る必要はない、という考えです。特に私のように単独行動が得意()で、集団行動が苦手()なタイプの人間は、多くの友達を作ることにそもそも向いていないことでしょう。

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今回は、私の不登校経験について述べました。この記事に関するご質問や、他に「このことについて書いてほしい」などのご要望がございましたら、いつでもこちらからお気軽にご連絡ください。