346.「普通」って、なんだろう。【僕は発達凸凹でも、前向きに生きていく。第38回】
2023/09/11
※この記事での私の特徴は自閉スペクトラム症(ASD)や発達性協調運動症(DCD)当事者の特徴のうちの、ほんの一例です。全ての神経発達症(発達障害)当事者に当てはまるわけではなく、特徴は十人十色だということをご理解いただけると幸いです。また、このシリーズにおける凸凹とは、凸が得意なことや強み、凹が苦手なことや困難を感じること、という意味合いで用いています。
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私は、「普通」という言葉をあまり用いません。
それはなぜかというと、「普通」という言葉にはどうしても、その言葉を用いた人の主観が入ってくるからです。
私は、多くの人々が「普通」にできることができないことがあります。
例えば、私は学校で上手に人間関係を築くことができず、まともに友達を作ることができませんでした。
多くの人々は、「友達の作り方」は教わらずとも心得ており、努力をせずとも自然に友達を作り、人間関係を築いていきます。
このように、多くの人々が「普通」にできることができない(凹)ことがあるのです。
それでも良好な人間関係を築きたい私は、時には人間関係について学ぶために本などで情報収集したこともあります。
しかし、本などで理論的に学ぶことと、実際に人と関わることを実践することは別物です。理論的に人間関係を学ぶことは人間関係を良くすることの手助けにはなりますが、根本的なことは「多くの人々が自然に習得している何か」が大事なのだろうと推測しております。
この「多くの人々が自然に習得している何か」がいわゆる「普通」なのでしょう。
しかし、私を含めたある一定の人々は人と関わりたい気持ちがありながらも、どう関わればよいかがわからず苦労しております。
中には人間関係は最小限で良いと考えている人もいるかもしれませんが、私はそうではありません。せっかく同じ世界を生きているのですから、様々な人々と一緒に楽しく生きていきたいという気持ちがあります。
ですが今回挙げた人間関係のことの他にも多くの人々にとっての「普通」が私にはできない(凹)ことがあり、大変です。
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一方、私は例えば、短い期間にこれだけ多くの文章を書く能力があります。これだけ書けることは、どうやら良い意味で「普通」ではない(凸)ようです。
他にも語学のことや、PCやスマートフォンなど電子機器に詳しいことなど「普通」より秀でている面(凸)もあります。
ようは、凸凹が激しいのです。
今回の記事の文脈では、凸は良い意味で「普通」から外れていること、凹は良くない意味で「普通」から外れていること、と述べることができますね。
誰にでも凸凹はあるものですが、私はそれが激しいためできる仕事が限られることなど、生きづらさがあるのです。
こうやってブログを書いているのも、記事を読んでくれた方々との「つながり」を求めている面もあります。私と関わってみたいと思う方は、ぜひお気軽にこちらからご連絡ください!