104.浪人中に、人と関わりたいと強く思った。【僕は発達凸凹でも、前向きに生きていく。第16回】
2023/05/19
※この記事での私の特徴は自閉スペクトラム症(ASD)や発達性協調運動症(DCD)当事者の特徴のうちの、ほんの一例です。全ての神経発達症(発達障害)当事者に当てはまるわけではなく、特徴は十人十色だということをご理解いただけると幸いです。また、このシリーズにおける凸凹とは、凸が得意なことや強み、凹が苦手なことや困難を感じること、という意味合いで用いています。
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進学校から通信制高校に転入したことにより、一口に高校生といっても、いろいろな人がいることを知ることができました。また、勉強ができることが絶対、という『学力至上主義』の洗脳から解き放たれることができました。現在はこういう考えを持つ人々を尊重はしますが、私は明らかにそうではなくなりました。
しかし、将来の夢が特になく、自身の特性からできる仕事も限られていることを自覚していた私は、大学に行きたいとは思っていました。それでも進学校にいた頃に比べると通信制高校は受験勉強に力を入れている学校ではないため、どうしても十分な成績ではありませんでした。通信制高校在籍時に現役で受けた大学入試センター試験(現在の大学入学共通テスト)の結果は十分なものではありませんでした。
そのため、大学へ入学するために1年間の浪人生活を経験いたしました。この経験もあって親しみもあったため、先日福岡に行った際に浪人生が集まっていたことが名前の由来となった親不孝通りを訪れたのです。
浪人中は、参考書や映像授業などを駆使して勉強いたしました。勉強仲間がいないため、孤独感との戦いでした。進学校の頃は、うまく友達が作れなかったものの、周りに同級生がいたため刺激を受けることができましたが、それが無いのはこうも違うのか、と痛感いたしました。
映像授業の予備校講師の方が、英語を声に出して勉強することが良い、とおっしゃっていたため、この頃から英語をよく声に出して学ぶことを実践していました。この経験が、大学時代に英語力をより伸ばし、イタリア留学ができるまで語学力を鍛えることができた(凸)礎となりました。
それまでは極度の人見知りで学校ではほとんど言葉を発することはなかったのですが、大学入学後は勇気を出してイベントなどにも参加し、人間関係を構築していこうと決意するのでした。
こうして私は、一年間の浪人生活にて大学受験にある程度対応することができるようになり、地元の国立大学・長崎大学に入学いたしました。それまでは受動的、つまり受け身で学んでいたのですが、この浪人生活のおかげで、能動的に、つまり自分から学んでいく姿勢を身につけることができました。その経験は今も活きており、気になることはすぐ調べて、知見を自分のものにしています。
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今回は、私の浪人生時代について述べました。この記事に関するご質問や、他に「このことについて書いてほしい」などのご要望がございましたら、いつでもこちらからお気軽にご連絡ください。