43.歩きまわった、校舎内。【僕は発達凸凹でも、前向きに生きていく。第2回】
2023/04/08
※この記事での私の特徴は自閉スペクトラム症(ASD)や発達性協調運動症(DCD)当事者の特徴のうちの、ほんの一例です。全ての神経発達症(発達障害)当事者に当てはまるわけではなく、特徴は十人十色だということをご理解いただけると幸いです。また、このシリーズにおける凸凹とは、凸が得意なことや強み、凹が苦手なことや困難を感じること、という意味合いで用いています。
本記事の著者による講演動画
こちらの講演会の資料など詳細は、こちらの記事をご覧ください。
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私は子どもの頃、幼稚園や学校で周りの同級生とどのように接して良いかわかりませんでした(ある程度改善した今もまだわからないことだらけですが)。
人の名前を呼ぶことすらも難しかった(凹)ため、クラス内では居場所がなく居心地の悪さを感じ、昼休みなど長い休み時間には意味もなく校舎内を1人で歩き回っていた記憶があります。この時の様子は今でもよく夢に出てきます。
そのため、私にとって学校は「友達と遊ぶところ」ではなく、文字通り「勉強をするところ」という印象が大きいです。そのような私でさえ、学校に行ってよかったとは思います。結果的に今後述べることになる保健室登校や不登校の時期もあるのですが、学校に馴染めていないながらも、その場に置くことで同年代の子たちはどのような感じか、などを身近に知ることができました。
もちろん、将来私に子どもができたときには本人の意思を尊重します。子ども本人が学校に行きたくないと考えた場合、無理に行かせようとは思いません。しかし、学校に行かなければ知り得なかったこともそれなりにあると今思い返すとわかります。
そんな中でも、周りに馴染めない(凹)ということは、言い換えると独自の思考をしている(凸)ということです。生まれながらに好奇心旺盛だった私は、知りたいと思ったことは「あれ、なぁに?」とよく尋ねる子どもでした。そんなことでいろいろ蓄えた知識もあるのでしょう。それを活かして学校の授業に出てきていないものなどのクイズなどは強いことがあり、そこでは活躍することができていました。
そうやって、必ずしも悪い思い出ばかりではないので、そういったことを思い出すと、微笑ましくなります。
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さて、今回は校舎内を「歩き回った」ということに関連して、こちらの楽曲を聴きながら執筆いたしました。
ギャビン・ルークというアメリカの方の『Night Walk』という楽曲です。私は、このようなゆったりとしたピアノの楽曲を聴きながら作業をすることがあります。
いつものように、作業に適したピアノ楽曲のプレイリストを聴いてみると、ビビっと来る楽曲がありました。それがこの『Night Walk』です。こうやってプレイリストやアルバムをいろいろ聴いていると、ビビっと来て初めて聴いた瞬間から大好きになる楽曲ができた、という経験をお持ちの方はお読みの方にもいらっしゃるかもしれません。
私の個人的な解釈ですが、この楽曲には日本的な哀愁を感じます。アメリカ人の方が制作した楽曲ですが、私には日本の和を感じる夜の街並みを歩いている風景が思い浮かびます。聴く人によって作った側がおそらく意図していない解釈をされることは芸術作品にとってよくあることだと思われますが、興味深いですね。
日本人に特に支持されたアメリカ人といえば、ベンチャーズを思い出しますね。ベンチャーズの楽曲も素晴らしいものが多いので、今度特集してみても面白いかもしれません。