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544.真面目にやっているのに、不真面目に思われた体育の授業。【僕は発達でも、前向きに生きていく。第47回】

2023/12/14

※この記事での私の特徴は自閉スペクトラム症(ASD)や発達性協調運動症(DCD)当事者の特徴のうちの、ほんの一例です。全ての神経発達症(発達障害)当事者に当てはまるわけではなく、特徴は十人十色だということをご理解いただけると幸いです。また、このシリーズにおけるとは、が得意なことや強み、が苦手なことや困難を感じること、という意味合いで用いています。

本記事の著者による講演動画

こちらの講演会の資料など詳細は、こちらの記事をご覧ください。

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昨日、第73回全国小・中学校作文コンクール文部科学大臣賞作品の、中学3年生の方がご執筆なさった作文『自閉症を持つ私から見た日常』を拝読して思ったことを書きましたが、この作文に私自身も励まされました。私もやはり、ASD当事者として考えることをこれからも共有していこうと思いました。

ということで、本日は学校での体育の授業での経験について改めて述べます。

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私は体育の授業で特に困難がありました。

周りのクラスメイトが楽にできる動作がうまくできないことがありました。

例えば、当時の私は動きがぎこちなく、ボールを投げる動作をうまくできずに砲丸投げのような動作になってしまいました。私はふざけているつもりは全くなく、真面目に取り組んでいたつもりなのですが、私のぎこちない投げ方を見て笑う人々がいました。

マラソン大会の際も、手を抜いているつもりは全くないのですが、いつも最下位でした。大多数の人々が自然に身につける「体力を消耗しない走り方」を自然に身につけることができなかったのでしょう。

極めつけは、高校時代の体育の授業での集団行動です。これは集団に合わせて動作をしていかなければならないため、周りの行動に合わせることが極端に苦手な私にとっては大変でした。1学年全体での合同の集団行動の授業にて、教師の笛の合図に合わせて全員が腰を落とさなければいけない動作の際に、私が腰を落とすのが遅れてしまったために、「おい山田!」と全員に聞こえる大声で名指しで注意した体育教師を私は一生忘れることはないでしょう。私はふざけようという意図は全くありませんでしたが、集団行動が苦手なために動作が遅れてしまったのです。

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このように、私は体育の授業でふざけているつもりはなくても不真面目に見えて笑われたり、注意されたりする経験が多々あり、屈辱的でした。

しかし現在はこのような経験も前向きに捉え、屈辱的な経験があったからこそいろいろと思い悩むことができ、考えが深まったと考えております。

ご覧いただき、ありがとうございました。