542.【第73回全国小・中学校作文コンクール文部科学大臣賞作品紹介】ある中学3年生が書いた『自閉症を持つ私から見た日常』という作文に、一人のASD当事者として感動いたしました。【僕は発達凸凹でも、前向きに生きていく。第46回】
2023/12/13
※この記事での私の特徴は自閉スペクトラム症(ASD)や発達性協調運動症(DCD)当事者の特徴のうちの、ほんの一例です。全ての神経発達症(発達障害)当事者に当てはまるわけではなく、特徴は十人十色だということをご理解いただけると幸いです。また、このシリーズにおける凸凹とは、凸が得意なことや強み、凹が苦手なことや困難を感じること、という意味合いで用いています。
本記事の著者による講演動画
こちらの講演会の資料など詳細は、こちらの記事をご覧ください。
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今回は、一人のASD当事者として私が心に来た作文をご紹介いたします。
こちらのリンク先でご紹介されている、『自閉症を持つ私から見た日常』という題名の、ある中学3年生の男性の方がご執筆なさった作文です。
中学3年生といえば、14~15歳です。現在30歳の私の半分ほどの年齢ながら、考え方がしっかりしており、読んでいて感動を覚えました。私が中学生の頃は、ここまで考えることはできなかったと思われます。
本記事では、こちらの作文を拝読して、同じくASD当事者として思うことなどを述べていきます。
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この方は、4歳で「注意欠陥多動優勢の自閉症スペクトラム」の診断を受けたそうです。診断名はASDながら、ADHD(注意欠如・多動症)の要素も併せ持つタイプの方だということがわかります。また、小学6年生の頃に身長が止まり、中学3年生の現在で143センチだそうです。心の発達だけでなく、体の発達も人それぞれ異なることを改めて感じます。
見た目がまだ子どもに見えるため、ファミリーレストランでは子供椅子が必要か尋ねられたり、キッズメニューが差し出されたりするそうです。見た目は小学生に見えるかもしれませんが、中学生なのですから子供扱いされると複雑な気持ちになりますよね。それでも店員は責められない、と黙る様子に葛藤を感じます。
また、真面目にしていても宿題についての重要なお知らせを聞き逃してしまったことから宿題をやっていないと不真面目に評価され、泣いたエピソードには共感いたしました。私の場合は宿題ではなく、体育の授業で似たようなことがありました。私は決して不真面目にやってはいないにもかかわらず、体育が極端に苦手(凹)なために体育教師にやる気がないと判断されたことが何回もあります。この方のように悲しくて泣いてしまった記憶もあります。
そして、ASD当事者にありがちな、「不必要な情報を遮断できない」特性についても述べられています。授業中に先生の声をうまく聞くことができず、クラスメイトが動く音やエアコンの音などが気になってしょうがないことが述べられております。私も周りの物音が気になって目の前の話に集中できないことがありますから、この方も授業中に苦労していることがひしひしと伝わってきます。
「自閉症なのによく喋ることが出来るね、と言われる事がある。」という一節からは、同じASDという診断名でもその人柄は十人十色だということがあまり広くは理解されていないことが伝わります。「自閉症」という字面から「自ら閉じ込む」といった印象を抱きますから、あまり社交的ではないイメージを持つ方も一部いらっしゃるかもしれません。しかし、この方は「人と関わるのが大好きであるし、お喋りも好んでする。」と書いており、話好きなようです。私自身も、人と関わることは得意ではありませんが、嫌いではありません。様々な人々と出会い、様々な交流をし、人生を豊かにしていきたいという願望があります(ただ、この方とは異なり、私は口下手でよく喋るタイプではありません)。
「私を母はたまにラジオと呼ぶ。一方的に喋って満足してしまうからだ。」という一節から、この方は自分の好きなことを相手の反応を気にせずに一方的に喋るタイプの方だということが推測されます。それに対して、私は相手の反応が気になってしまい、多くを語ることができないタイプです。自分だけ話しすぎると聞き手が退屈しますから、多くを語らないのです(こうやって文章に書くのであれば書きたいことを思いっきり書いてしまいますが)。
「人の気持ちを読み取るアンテナが通常なら5本立っているならば、私は1本しか立っていないからだ。」とこの方は書いておりますが、「相手を泣かせた時は、私の目から涙が出てくる。」とも書いており、人間としての心を感じます。何より、例え話も用いながら自らのことを中学3年生にしてこれだけ素晴らしい文章で描写できるという事実から、私はこの方の「人の気持ちを読み取るアンテナ」は5本ではないかもしれませんが、1本でもなく、それ以上はあるのではないかと考えてしまいます。
最後の「私もこの困難な世界に向き合い、痛みを知っているぶんだけ、弱さを持っているぶんだけ、他の誰かに優しくなれる大人になりたいと考えている。」という文章には特に感動を覚えました。私が中学3年生の頃には、まだここまで考えることができませんでした。私も自らの経験をもとに、同じように悩んでいる方々の力になりたいと改めて決心することができました。
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この作文を書かれた方は、現在中学3年生です。私は特に高校時代には厳しい経験をいたしました。周りにいる方々のサポートにより、この方が中学卒業後により良い人生を送ることができることを陰ながら願っております。
自らの考えを作文として共有していただき、誠にありがとうございました。