278.【第50代横綱・佐田の山関】私が生まれた上五島が誇る、日本相撲協会理事長も務めた横綱。【紹介 『克己 出羽海智敬自伝』】
2023/08/10
私は相撲に興味を持ってから、現代の力士はもちろん、過去の力士についての情報もいろいろと調べるようになりました。
その中で歴代の横綱を知っていくうちに、第50代横綱・佐田の山関が長崎県の上五島出身だということを強く意識するようになりました。佐田の山関は、いわゆる「柏鵬時代」と呼ばれた、第47代横綱・柏戸関、そして第48代横綱・大鵬関と同じ時代に活躍した横綱です。
以前読んだ、長年NHK大相撲中継の実況アナウンサーを務めた杉山邦博による『土俵一途に 心に残る名力士たち』という本によると、当時は大鵬関の強さが圧倒的だったため、もし大鵬関がいなかったら佐田の山関は大横綱になったかもしれないといった旨が述べられておりました。
その圧倒的な強さを誇った大鵬関に立ち向かった佐田の山関の姿は、当時の相撲ファンの心に残ったことでしょう。
上五島は母の故郷で私が生まれた場所でもあるため、子どもの頃上五島を訪れた際に、有川地区で力士の展示を見たことを記憶しております。佐田の山関の地元、上五島の有川地区は、母がかつて住んだことがある場所でもあります。
あれが佐田の山関だったのか、と今思い返すとわかります。次に上五島を訪れる際も、是非展示や、像を見たいと思います。
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佐田の山関は引退後も、出羽海部屋の師匠として先代師匠から引き継いだ三重ノ海関を第57代横綱に昇進させ、「技のデパート」と称された元小結・舞の海関や現在の境川親方である長崎県出身の元小結・両国関など様々な力士を育て上げました。この境川親方が師匠を務める境川部屋では現在、平戸海関や對馬洋関といった、佐田の山関の孫弟子にあたる長崎県出身の力士も活躍しております。
更に1992年から1998年までの間、日本相撲協会の理事長も務めました。その時期に執筆された、『克己 出羽海智敬自伝』という佐田の山関(執筆当時は出羽海理事長)の自伝が出羽海部屋公式サイトに公開されておりますので、拝読いたしました。
佐田の山関がどのような経緯で大相撲の世界を志し、横綱まで登りつめたのかが、当時の上五島のこととともに述べられております。元大関・五ツ嶋関をはじめとする、同じく上五島出身の往年の力士についても述べられており、上五島に生まれた人間として興味深く拝読いたしました。
五ツ嶋という四股名は、もちろん出身地の五島列島から取られたものなのですが、「五ツ◯」という四股名の五島列島出身の力士が他にも複数いたこともあり、佐田の山関は本名の佐々田という苗字から四股名を決めたエピソードを興味深く思いました。この四股名にした頃は、まさか横綱まで登り詰めるとはご本人も周りの方々も思わなかったかもしれません。
こうして佐田の山関の本名が由来の「佐田の◯」という四股名は代々受け継がれることとなり、現在も境川部屋で活躍する佐田の山関の孫弟子にあたる幕内・佐田の海関などに佐田の四股名があります。こういう経緯がありますので、佐田の四股名を見ると親しみがあります。
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私は最近相撲に興味を持ったばかりなのですが、いろいろと調べてみると私が生まれ育った長崎県にも様々な力士がおり、中には佐田の山関のように横綱まで登りつめた方がいることも知りました。しかも佐田の山関は、私が生まれた場所である上五島出身とのこともあり、誇らしく思います。
これからも、地元出身の力士はもちろん、様々な時代の様々な力士を知っていきたいと思います。
本記事をお読みいただき、ありがとうございました。
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