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154.小説『今日も、僕は歩いていく。』第17話 雨と、あじさい。

2023/06/18

※こちらのカテゴリでは自由な物語を書いていきます。こちらのカテゴリに書いてあることは基本的にフィクションです。登場する人名・地名・商品名などの名称は例外を除き架空のものです。

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今は6月なので、雨が多い。僕は多少の雨では傘はささないのだが、今日の雨は強い。これはさすがに僕でも傘をささなければいけないレベルだ。

仕事柄、雨の日はずっと家にいることも可能なのだが、食材を切らしていたので買い物に出かけた。今はその帰りだ。買ったものが入っているエコバッグに加えて傘を持っている構図は、なかなか不便だ。だが天気はどうしようもないので、しょうがない。

傘をささなければいけないのは不便ではあるが、僕は雨は嫌いではない。晴れている時とは異なる、しっとりとした雰囲気が流れているのは、また風情を感じることができる。

晴れている日は良い天気、雨の日は悪い天気だと言われがちではあるが、時々、雨が降らないと水不足になってしまう。晴れている日ばかりでは困ったことになるのである。

これは、実際の人生にも当てはめることができるのではないか、と僕は考えている。

いつも好調が続いていると、特に深く考えずともうまくいく状態になりがちだ。だが、ずっとそうだと学びが少ないのではないか。もちろんずっと好調であることに越したことはないが、それだと行き詰まる時がいつかは来てしまう。

だから、どの人にも不調な時期というものがあり、その間に自分を見つめ直すことができる。不調な時期は、悪い時期だと捉えがちだが、僕は自分を見つめ直すためと捉え、こちらも良い時期として考えている。

不調である時期にいろいろ考えたことを活かし、次の好調の時期にはもっと花を咲かせることができるかもしれない。そうやって希望を持ちながら日々過ごしている。

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雨の鶴咲は本当に風情がある。石畳を水が流れていく様子は、見ごたえがある。しかも今は6月なので、あじさいの花が綺麗に咲いている。雨に濡れるあじさいも、なんというか神秘的な雰囲気を醸し出しており、美しい。

そして雨が上がった後のあじさいは、瑞々しくてより綺麗に見える。私たち人間も、不調な時期があるからこそ、好調な時期に輝くことがある。

僕も好調な時期もあれば、不調な時期もある。不調な時期にも落ち込みすぎず、自分を見つめ直すための時間と捉えて、前に進んでいこうではないか。

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一見、何も考えずに無表情で傘をさして歩いているように見える僕だが、このようなことを考えながら今日は歩いた。

・・・雨の日の鶴咲を、楽しみながら。

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つづく