83.小説が、読めない。【僕は発達凸凹でも、前向きに生きていく。第11回】
2023/05/04
※この記事での私の特徴は自閉スペクトラム症(ASD)や発達性協調運動症(DCD)当事者の特徴のうちの、ほんの一例です。全ての神経発達症(発達障害)当事者に当てはまるわけではなく、特徴は十人十色だということをご理解いただけると幸いです。また、このシリーズにおける凸凹とは、凸が得意なことや強み、凹が苦手なことや困難を感じること、という意味合いで用いています。
本記事の著者による講演動画
こちらの講演会の資料など詳細は、こちらの記事をご覧ください。
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私は、小説が読めません(凹)。読まないのではなく、読めないのです。
この世には、様々な名作小説があります。本を読むこと自体は好きな私は、幾度と挑戦したことがありますが、文字を読むだけでは物語がうまく頭に入ってこないのです。
このような特性がありますので、学校の国語の授業も苦手でした。評論文はまだ対応できますが、小説読解が本当に苦手なのです。古典の古文や漢文もほとんど物語なので、現代の文章ですら物語を文章で読むことが苦手なので、昔の文章はさらに頭にうまく入ってきませんでした。
教科書や参考書、専門書など何か知見を得る目的の本は、ある程度問題なく読むことができるのですが、物語を文章で読むことに困難があります。
しかし、物語を楽しむこと自体は好きなため、映画やドラマなどで小説を映像化したものがありますが、こちらであれば小説が読めない私でも楽しむことができます。
また、小説を読む能力は十分ではありません(凹)が、小説を書く能力はあります(凸)。拙著『僕は発達凸凹の大学生』は、主に私の大学時代に焦点を当てた自伝的小説です。自費出版ではなく商業出版にて小説を出すことができたくらいには、小説を書く能力がある(凸)ということです。
こうやって小説を書きますので、読むことにもぜひ挑戦したいのですが、特性上、他人が書いた小説を読んでもうまく頭に入ってこないのがもどかしいです。ですが、これは特性なので仕方がないことと受け入れ、文章ではなく映像作品を楽しむこととしています。
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今回は、小説が読めないことについて述べました。この記事に関するご質問や、他に「このことについて書いてほしい」などのご要望がございましたら、いつでもこちらからお気軽にご連絡ください。