1307.【小説】或除者の独白 幼少期編 第29話
2025/03/29
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或除者の独白
幼少期編
第29話
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それでは最後に、なぜ私が今日のように皆さまの前でお話しをするかを改めてお話しいたします。
「学校」という集団で過ごす場所では、実にいろいろな子がいます。もちろん、学校でうまくやっていける子がおり、それは良いことです。私がお話しした例えば寺石くんや馬杉くんは、学校生活を楽しんでいましたね。
一方、かつての私のように学校にうまく馴染めない子がいる事実もあります。クラスの他の子が「普通に」できていることが、できない子がいるのです。
・・・「普通」って、一体何なんでしょうか!
すみません、大声が出てしまいました。私は「普通」という言葉に対して神経質になってしまいます。しばしば「普通」という言葉が使われる際は、その言葉を使った人の主観が含まれることがあります。
「真田くん・・・普通できるだろこれくらい。」
体育や図工などで私の不器用さが発動してうまくできないことがあると、このような心無い言葉を浴びせてきた教師がいました。
この場合の「普通」は、その教師にとっての「普通」であり、私にとっては「普通」ではありません。できないものは、できないのです。
更に学校は集団生活ですから、かなりのマイペースで休み時間には校舎内を歩き回るような子だった私にとって集団のペースについていくことが本当に大変でした。
先に話したような修学旅行は、一般的には「楽しい行事」とされていますが、私にとっては常に班行動を強いられますから、班のみんなについていくことが大変でした。私にとっての修学旅行は、楽しいというより、大変だったという印象が強く残っています。こういう子もいるのです。
このように、幼少期に学校でいろいろあった私は今、このように考えています。
当時の自分は学校に馴染めなかったのではない。学校が当時の自分に馴染めなかったのだ。
・・・自己中心的に聞こえたのであればすみません。しかし、このように思えてならないのです。
現在は、かつての私のような子に対する理解も進んできたように思います。嫌だと思いながらも学校に行っていた私のような子が、現在は「学校に行かない」という選択肢を選びやすくなったように思います。
しかし・・・学校に嫌々ながら行くべきか、行かないことを選ぶべきかはしばしば議論になりますね。私も、学校に馴染むことができませんでしたがそれでも学校という空間にいることで学びになったことも多々あります。実際、こうやって皆さまの前でお話しできているのですから。
こうやって私の中でさえ学校に行くことに関する相反する感情がわき上がってくるのですから、他の皆さまもいろいろな考え・感情があることでしょう。
そんな皆さまの考える一つの材料となれば幸いです。私の意見・考えが正しいとは限りませんので、ご参考になれば幸いです。
本日はご清聴、誠にありがとうございました。
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つづく
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