899.【子どもが喋らないと悩んでいる方へ】幼い頃は極端に無口だったが、今はいろいろと話せる。【僕は発達凸凹でも、前向きに生きていく。第78回】
2024/08/11
※この記事での私の特徴は自閉スペクトラム症(ASD)や発達性協調運動症(DCD)当事者の特徴のうちの、ほんの一例です。全ての神経発達症(発達障害)当事者に当てはまるわけではなく、特徴は十人十色だということをご理解いただけると幸いです。また、このシリーズにおける凸凹とは、凸が得意なことや強み、凹が苦手なことや困難を感じること、という意味合いで用いています。
本記事の著者による講演動画
こちらの講演会の資料など詳細は、こちらの記事をご覧ください。
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幼い頃は極端に無口だったが、今はいろいろと話せる。
私は特に幼い頃、自分の感情や、何を考えているかをうまく表現することができませんでした。
つまり、極端に口数が少なくておとなしい子どもでした。
話せなかった理由
当時話すことが極端に苦手だった理由を考察すると、「謎の恥ずかしさ」の存在がありました。
例えば、人の名前を呼ぶことを当時はうまくできませんでした。その理由を尋ねられると、当時は「恥ずかしいから」と答えていました。
また、何が好きかを表現することもうまくできませんでした。このことは、次のエピソードが印象的です。
漫画クラブでのエピソード
かつて私が在籍した小学校では、高学年からクラブ活動がありました。
しかし当時からマニアックだった私は、第一希望から第三希望まで選んだ全てのクラブが規定人数に達することなく実施されませんでした。
そこで私が所属することになったのは、漫画クラブでした。
いわゆる教科書的なお手本のような絵を描くことが苦手(凹)な私が描く絵は、おそらく個性が強いものでしょう。
漫画クラブに入りたくて入った他の子たちは、自分が好きな漫画のイラストを上手に描いていました。
それに対して、私は「どの漫画が好き」かを公表することにも当時は「謎の恥ずかしさ」があり、仕方なく謎のオリジナルキャラクターを描いたことを記憶しております。
そして漫画クラブの子どもたちの作品が学校の階段の踊り場に展示されたのですが、個性が強い私の作品はある意味注目を集めました。当時は私の作品を笑う人々を良く思いませんでしたが、今思うとそれだけ注目を集めることができたことは良いこと(凸)とも捉えることができますね。
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このエピソードのように、「何が好き」かを表現することが当時は極端に苦手(凹)でした。そのこともあり極端に口数が少なかったのです。
しかし大人になった今は、こうやって公式サイトを開設し、自らのこれまでの体験や、好きなことをいろいろと発信するようになりました。
人の名前を呼ぶことも問題なくできるようになり、口数も当時より多くなりました(とはいえ、おとなしい方ではあります)。
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お読みいただいた方の中で、自分の子どもがあまり話さないので心配している方々がいらっしゃるかもしれません。私の母も当時は心配していたそうです。
しかし私のように、子どもの頃はうまく自分を表現できなくても、大人になってからはそれができるようになる場合もあります。
現在の私は、子ども頃に言えなかった分、些細なことでも母に「ありがとう」と伝えることを心がけております。
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また、いろいろと表現できるようになった現在、私と同じような特徴を持つ方々やその周りの方々のお役に立ちたい、そういう思いで日々こうやって発信しております。
ご相談などがございましたら、いつでもお気軽にこちらからご連絡くださいませ。
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お読みいただき、ありがとうございました。