山田隆一公式サイト

463.【ビートルズの「if」】歴史上の「if=もしも」を考えるのが、好き。

2023/10/26

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この世は、「ifイフ=もしも」で溢れております。

例えば、我々が生まれたことも、様々な偶然が重なり、奇跡的と言える確率で起こったことです。そう考えると、生きていることに尊さを感じます。

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歴史上の出来事でも、様々なifが複雑に重なり合ったことにより、現代へと繋がっていきます。

私が歴史が好きな理由の一つとして、このifを考えることができることが挙げられます。

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今回は、世界のポピュラー音楽史に最も影響を与えたと言っても過言ではないイギリスのロックバンドであるビートルズのifを考えてみます。

私を含め、ビートルズの音楽の影響を受けた人々は解散から50年以上経った今もどんどん新たに世界中で現れております。そんなビートルズ、ifをいくつか考察いたします。

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※今回考察するifは専門家ではない一個人の感想です。間違いがあるかもしれません。また、無数にあるifの中から、少しだけを取り上げますので、「あのifがない」ということが起こり得ますが、あしからず。

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if1.もしも、スチュアート・サトクリフの演奏能力が十分だったら

しばしば「5人目のビートルズ」として名前が挙がる、「スチュ」の愛称で知られたスチュアート・サトクリフは、スコットランドのエディンバラ生まれのビートルズの元ベーシストでした。リヴァプールがあるイングランドのマージーサイド州で育ち、リヴァプールにある学校でジョン・レノンと出会いました。

その後ビートルズのメンバーとしてレコードデビュー前に活躍しますが、元々は画家であり楽器を弾けなかった状態からバンドに加入したこともあり演奏力が不足していることもあり、ビートルズを脱退しました。

もしも、スチュの演奏能力が急激に上達し、演奏力不足を指摘されないほどになっていたら、どうなっていたでしょうか。スチュは、より長くバンドに在籍することができたかもしれません。そうであっても、スチュはビートルズのレコードデビュー前の1962年4月に21歳の若さでこの世を去っております。ビートルズに在籍し続けていてこの同じ時期にこの世を去っていたらどうなっていたか、さらに、レコードデビュー後もそのまま活躍し続けていられたら、などといろいろと想像することができます。スチュが作曲した曲が後年に残っていたら、と考えることもできますね。スチュの話題だけでも、このようにいろいろとifを考えることができるのは興味深いです。

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if2.もしも、ピート・ベストがマッシュルームカットだったら

同じく「5人目のビートルズ」と呼ばれたドラマーのピート・ベストにも焦点を当てます。ピートはインドのマドラス(現在のチェンナイ)で生まれ、4歳でリヴァプールに移り住みました。ビートルズがレコードデビューする直前までビートルズに在籍しており、そのデビュー曲『Love Me Do』ではピートがドラムを演奏したバージョンも録音が残されております。

メジャーデビュー直前に、ビートルズから事実上解雇されてしまったピートですが、演奏技術不足なことに加えて、髪型がジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンがおなじみのマッシュルームカットにしていたにもかかわらず、ピートだけリーゼントにしており、他のメンバーと温度差があったことも解雇の原因とされております。

ここでもしも、ピートも同じ髪型をしていたらバンドの雰囲気が変わり、ピートもそのままドラムを続けていたかもしれません。そして演奏力不足も補うことができたピートがドラマーのまま、リンゴ・スターが加入せずにビートルズがそのまま活動していったらどうなったかを考えるだけでも面白いですね。リンゴがバンドの雰囲気を和ませるような存在だったことが知られておりますから、ピートがドラマーのままだとビートルズはもっと早く解散していたかもしれず、これほどにまで現代の音楽に影響を与える存在ではなかったかもしれません。

スチュは21歳の若さでこの世を去りましたが、ピートは81歳になった現在でもピート・ベスト・バンドとして活動しているようです。こちらのピートの公式サイトには、「THE MAN WHO PUT THE BEAT INTO THE BEATLES(ビートルズにビートを入れ込んだ男)」と書いており、粋ですね。メジャーデビュー直前に解雇されてしまったピートですが、ビートルズの音楽性に少なからず影響を与えたことでしょう。

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if3.もしも、4人のメンバーがリヴァプールに生まれていなかったら

これを考えるとキリがないですが、この話題でも述べてみます。

前述のようにメンバーの出入りがあったビートルズですが、最終的なメンバーであるジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、そしてリンゴ・スターの4人は偶然にも、生まれも育ちもリヴァプールです。

説明不要の伝説のロックバンド、ビートルズですので、そのメンバーのうち1人でも出身地が地元なメンバーがいるとものすごく誇らしい気持ちになるでしょう。しかし、ビートルズの場合はなんと、4人全員が同じリヴァプールで生まれ育っております。

リヴァプールに、音楽の神様が集中的に力を注いだのかと思わせるほどの偶然ですね。よりによって同じ街出身の4人が、このような世界の音楽をガラっと変えてしまうバンドのメンバーとして活躍したのですから。

先程述べたスチュとピートは偶然にもリヴァプール生まれではなかったことからも、このように考えてしまいます。

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if4.もしも、ブライアン・エプスタインが1967年以降も存命だったら

ビートルズを語る上で、マネージャーを務め、メンバーからは「エピー」の愛称で呼ばれたブライアン・エプスタインという人物の存在は欠かせません。この方の売り出し方が良かったこともあり、ビートルズの音楽が世界中に聴かれていくようになりました。

エピーは、ビートルズのアルバム『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』が発表された直後の1967年8月に32歳の若さでこの世を去りました。ビートルズがまだまだ活動中だったこともあり、当時の音楽界は衝撃を受けたことでしょう。

契約のことなど、様々なことがあったようですが、もしもエピーがそのまま存命していたらビートルズの考え方は異なるものとなっており、解散時期が遅くなったかもしれませんし、逆に早まったかもしれません。様々な要因が重なり解散するものですから、正解はありませんが、いろいろなことを考えることができます。

今回、記事を執筆するにあたってエピーのことを調べていると、リヴァプールにエピーの銅像が昨年にできたことを知りました。

エピーが亡くなって55年になる記念日に除幕されたようです。長い年月が経っていながらもこのように銅像が新たにできることからも、エピーの功績の大きさをうかがうことができます。こんなに素晴らしい音楽のビートルズを多くの人々に聴いてもらえるよう売り出していただき、本当にありがとうございました。

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他にもビートルズ関連のifはたくさん挙げることができますが、今回はこのあたりにいたします。

リヴァプール、いつか行ってみたいものですね・・・。地方の港町であることもあり、同じく地方の港町である長崎が地元の私はそういう面でも親しみを感じます。

ifについていろいろと語ることは自由度が高いこともあり、筆が進みますね。これからも様々なifについて考えていきます。ご覧いただき、ありがとうございました。