276.長崎市内の、原爆や平和に関する写真。【長崎原爆の日】
2023/08/09
本日は、78年前に長崎で原子爆弾が投下された日です。前回の記事にて、長崎で生まれ育った私の平和に対する想いを述べました。
本記事では、長崎の原爆や平和に関する場所を以前撮影いたしましたので、ご紹介いたします。
こちらは、私の出身大学である長崎大学の文教キャンパスの正門にある銘板です。この場所はかつて、三菱長崎兵器製作所大橋工場でした。この工場は原爆で甚大な被害を受け、多くの人々が犠牲になりました。
こちらの銘板では、長崎市で路面電車を運営している長崎電気軌道株式会社大橋営業所が、かつて原爆の被害を受けたことについて説明されています。
こちらは、長崎市松山町にある平和公園の入口です。ご覧のように、階段とエスカレーターの2種類の通行手段がございます。
平和公園には、平和に関する様々な記念碑や記念像などが展示されております。その中でも、この画像の奥にある平和祈念像は、長崎市のシンボルのうちの1つとなっております。
平和祈念像は、本当に大きな像です。毎日、その穏やかな表情で長崎の街から平和を願い、人々を見守っています。右手は原爆を、左手は平和を表しているそうです。
平和祈念像のそばには、このように解説文があります。
正面からの姿がよく知られている平和祈念像ですが、背後から見た背中にも迫力があります。長崎県出身の彫刻家・北村西望が平和への想いを込めて制作したことがひしひしと伝わってきます。
こちらは、平和公園内にある平和の泉の写真です。碑に書いてある言葉を読むと本当に悲しい気持ちになります。原爆の被害により、飲む水にも困っている少女による文章が記されています。
これを読むと、蛇口をひねるときれいな水が出てくる現代がいかに恵まれているかがわかり、きれいな水を使えることへの感謝の念が芽生えます。現代では当たり前のことが、この当時はそうではなく、過酷な状況であることをこの文章が語りかけています。
平和公園の近くには、長崎市平和会館・長崎市歴史民俗資料館・長崎市野口彌太郎記念美術館がございます。
付近には、『原爆殉難教え子と教師の像』があります。現代と同じく、当時にも学校に通って学んでいた子どもたちや、授業をしていた教師たちがおり、その命が原爆により奪われてしまったことを想像することができます。
こちらは、被爆後の爆心地一帯の当時の写真と、現代の風景を照らし合わせることができる場所です。山の形から、同じ場所だということが推測できます。
そしてこちらが、長崎原爆資料館です。学校での社会科見学などで何度も訪れたことがある場所ですが、何度行っても原爆投下の恐ろしさが伝わり、同じことを繰り返してはならないという気持ちになります。
こちらは、長崎市の爆心地公園にある母子像です。清掃をされている方がいらっしゃいます。日々お手入れをしてくれる方々がいらっしゃるからこそ公園が清潔に保たれます。誠にありがとうございます。
こちらも、爆心地公園にある『原子爆弾落下中心地碑』です。まさにこの場所の上空で原子爆弾が爆発したとされています。
こちらは、現在の長崎大学医学部である長崎医科大学運動場通用門の跡地であることを示しています。長崎医科大学があった坂本地区に、現在も長崎大学医学部と長崎大学病院があります。
これらの写真は、同じく長崎市の坂本地区にある山王神社です。原爆の被害により片足だけになった鳥居と、クスノキの写真です。
この山王神社の風景は、長崎市出身のシンガーソングライターで被爆二世でもある福山雅治の楽曲『クスノキ』でも歌われております。
『福山雅治 Official』YouTubeチャンネルにて2015年、長崎市の稲佐山にてこの『クスノキ』を披露した際の動画がアップロードされておりましたので、最後にこちらをご紹介いたします。
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今回ご紹介した場所は、私は長崎で生まれ育ちましたので何度も訪れたことがあるのですが、毎回訪れるたびに観光客の方が足を運んでくださっている様子を目の当たりにし、誠に嬉しく思います。
国内はもちろん、海外からも観光客の方々がお見えになり、長崎に足を運び、平和について考えてくださっていることを感じます。
私が今回ご紹介した写真は、長崎の原爆や平和に関する場所についてのほんの一部です。機会があれば是非、実際に足を運んでいただけると幸いです。
長崎を訪れる際にお困りの点などがございましたら、私でよろしければご回答いたしますので、是非お気軽にこちらからご連絡ください。
本記事をお読みいただいて、ありがとうございました。
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