48.龍馬が見た、景色。(風頭公園周辺を散策)
2023/04/10
本日は、長崎市の風頭公園周辺を散策しました。このあたりで、あの坂本龍馬が貿易結社の亀山社中を結成したとされています。その亀山社中の記念館が現在はあります。
土佐藩(現在の高知県)出身の龍馬ですが、こういった理由で長崎にゆかりのある人物となっております。
池内さん、こんにちは。ご丁寧にご案内ありがとうございます。あれ、池内さんではなく、池さん?大変失礼いたしました!
この人物は、池 内蔵太(いけ くらた)という人物で、坂本龍馬と同じ土佐藩出身で、亀山社中にも加わった人物のようです。
それにしても手書きで味のある看板ですね。こういった独自の味のある看板、大好物です。「亀山社中【ば】活かす会」という名前も長崎弁の入っとって、良かですねぇ。
龍馬通りと名付けられている道があり、龍馬像が人々を見守っています。
おそらくこの看板設置から時間が経過したものと思われますが、このように経年変化で文字が薄くなっているのも、私は味ととらえ、趣を感じます。
このあたりを訪れるのは約10年ぶりなので、令和初の訪問です。このようなものができていたのですね。
おおっと、うっかりしたことにデジカメの電池切れです。急遽、こちらの写真からスマホに切り替えました。
4月になり、草木の色がより綺麗になってまいりました。
草木と岩と、太陽の共演。美しいです。
風頭公園の展望台からの景色です。当時の亀山社中からも、こうやって長崎の街並みを見下ろせたのでしょうか。龍馬が見た当時の長崎の街並みを想像しながら、眺めました。
この案内板に書いてある、龍馬の肖像写真を撮影したとされた上野彦馬は、現在の長崎市銀屋町の生まれだそうです。日本における最初期に活躍した写真家として知られています。この案内板を歩くと実際にお墓がありましたので、日本における写真の歴史において欠かせない偉大な人物に思いを馳せ、これからも私が良い写真を撮れるように願いました。先人たちの努力があり、現在私たちは写真を撮ることができることに感謝いたします。
この龍馬像も、久しぶりに見ましたがやはり迫力があります。堂々としたその風貌に勇気づけられた気がします。過去に様々な人々が、様々な歴史を作ったことにより現在があることを改めて考えさせられます。
こちらは、『龍馬のぶーつ像』です。「ぶーつ」とひらがな表記なのが趣があって好きです。こちらも久しぶりに訪れましたが、やはり大きな「ぶーつ」です。
龍馬通りには、このようにいくつかの看板があり、龍馬の絵とともに一言添えられています。私もあわてずに、マイペースに過ごし、この一言が言う、「風」を見極めようと思います。
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今回は、坂本龍馬にちなんで、海援隊を聴きながら記事を執筆いたしました。
海援隊のグループ名は、龍馬が結成した亀山社中の後身組織である海援隊にちなんでいます。メンバーの武田鉄矢は、坂本龍馬の大ファンとして知られており、私が今回訪れた地域にある亀山社中記念館の名誉館長も務めています。
ちなみに私がお気に入りの海援隊の楽曲は『あんたが大将』です。
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