山田隆一公式サイト

1355.【エッセイ】『おもちゃ』

2025/04/20

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『おもちゃ』

「玩具」という字は「がんぐ」と読むが、実は「おもちゃ」とも読む。

しかし、「おもちゃ」に慣れ親しんでいる子どもの時分には「玩具」という漢字を知らない。

私も、そんな子どもの時分には様々なおもちゃに慣れ親しんだものだ。

車のおもちゃ・・・電車のおもちゃ・・・キャラクターのフィギュア・・・。思い出すだけで楽しくなってくるのがおもちゃである。

今、何か嫌なことがあったとしても、子どもの頃に夢中になっておもちゃで遊んでいたころの記憶を思い出すと、少しは気が楽になるかもしれない。

おもちゃの車が走っていく・・・。家の中をずんずんと。

椅子の下やテーブルの上、様々な場所を走っていく。

うむ、思い出しているだけでも楽しくなってくる。これはなかなか良い手かもしれない。

嫌なことを考えているよりも、楽しいことを考えているほうがよっぽど有意義な時間の過ごし方である。

子どもの頃に遊んだおもちゃたちは、今でもこうやって楽しい思い出として生きている。

子どもの頃はそんなことを考えなかったのだが、今言えることがある。

おもちゃを作ってくれた人びとへの感謝だ。おもちゃを買ってくれた両親には当時でも感謝できたのだが、おもちゃを作った人びとまでは頭が回らなかったものだ。

・・・今おもちゃで遊んでいる子どもたちも、大人になったら私のようなことを考えるのだろうか。

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お読みいただき、ありがとうございました。