1337.【エッセイ】『普通』
2025/04/12
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『普通』
私がこれまでこういった記事などでも度々述べていることをここでも改めて述べる。
「普通」ってなんだろう。
私は「普通」という言葉には、その言葉を使った人の主観が含まれると考えている。誰もが認める「普通」などは存在し得ないのだ。
カレー店での具体例
具体例として・・・とあるカレー店に入ったとしよう。
カレー店では、カレーの辛さを指定できることがよくある。その辛さの中に「普通」があるとする。
辛い食べ物が好きな人にとっては「普通」では物足りないことがある。そんな時はより辛い辛さを指定することだろう。
一方、辛い食べ物を好まない人にとっては、「普通」の辛さですら辛いと思う人もいるかもしれない。そういった人々のために、甘い辛さが用意されているお店もある。
このように、辛さに対する感覚は人それぞれであり、誰もが認める「普通」の辛さはない。この「普通」の基準を決めているのは、カレー店である。
辛い食べ物が好きな人にとっては、もっと辛いカレーがその人の「普通」であり、辛い食べ物を好まない人にとってはもっと甘いカレーがその人の「普通」なのである。
・・・ちなみに私は、初めて入ったカレー店では辛さは「普通」にして、その店の「基準」を楽しむことであろう。甘いカレーであっても辛いカレーであってもおいしく食べるので、まずはそのカレー店にとっての「普通」を楽しむ。
「普通」できるだろ、という暴言
ある人が誰かを指導する際に、「普通」できるだろ、という言葉を浴びせる輩がいる。
しかし、その人が「普通」にできることであっても、それがすべての人ができるとは限らない。
人間は誰でも得手不得手があり、できることとできないことが人それぞれ実に異なる。まさに十人十色である。
その人が「普通」にできていることがあっても、その指導されている他の人が「普通」にできていることをその人ができないこともよくある話である。
人間は、機械ではない。一人ひとり個性がある。様々な特性があり、できることやできないことがそれぞれ異なるのは自然のことである。
あることをどれだけ真剣にやろうとしても、どうしてもできないことがあるという人もいるのである。
いろいろな人に「寛容」である社会を願う
もちろん自分勝手に人に迷惑をかけるのはなるべく避けなければならないが、このようにできることやできないことがそれぞれであることを多くの人にご理解いただき、社会が寛容になれば生きやすくなる人が増えると考える。
みんな同じではない。それぞれが異なる特性を持っている人間である。100人いれば、100通りの「普通」があるのである。
私はこう考えるようになってからは、自分から「普通」という言葉を使うことがあったら気をつけることを心がけている。(おそらく、あまり使わなくなったことだろう。)
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お読みいただき、ありがとうございました。
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