山田隆一公式サイト

1352.【エッセイ】『お世話になった人びと』

2025/04/19

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『お世話になった人びと』

私たちは、数え切れない人びとの「お世話」になっている。

誰もが誰かの「お世話」になっている。誰からも「お世話」にはなっていない、という人は存在しない。

「いやいや、自分は一人暮らしで仕事も自営業だ。」という人がいるかもしれない。しかしそういう人でも誰とも関わらないことは不可能なのである。

もちろんそういう人でも普段立ち寄るお店では店員の方々と顔を合わせるし、その自営業がどの職種であっても顧客という存在がある。

「お世話」になっているのは、何もこうやって直接的に会う人びとだけではない。

例えば、普段着ている服はどこか遠くにある縫製工場の誰かが作ったものである。これは仮に、自分で服を作っていたとしてもその生地を作る人びとの存在がある。着ているものだけを見てみても、それに関わる多くの人びとの存在が裏にはあり、その人びとの「お世話」になっている。

普段食べるものを見てみても、その食材を生産する人びとやそれを運送する人びと、販売する人びと、一つの食べ物を見てみても、それに関わった人びとは数多い。

私たちが普段住んでいる家や家具、電化製品を見てみてもそれらを建築・製造するために関わった人びとは部品単位まで見てみると数え切れないほどいることであろう。

こうやって「衣食住」に注目してみても、私たちが衣食住を充実させるために本当に多くの人びとの「お世話」になっている。

直接会ったことがある人びとであるとわかりやすいが、そうでない数多くの人びとの「お世話」にも、私たちはなっているのだ。

このように私は考えているので、私は「この社会は様々な人がお世話をし、お世話をされているお互い様で成り立っている」とも考えている。多くの人びとの助けでこの社会が成り立っていると実感できる。

私自身もこの社会に存在している限り、多くの人びとのお役に立てるのであればそれは幸いなことである。

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お読みいただき、ありがとうございました。